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上の子を妊娠したことで陥没乳頭ということを知る
上の子を出産した十数年前、若くして結婚・出産を経験する私は初めて訪れた産婦人科が出産を取り扱っていないことを知ります。
そして、紹介された大きい病院は「赤ちゃんにやさしい病院(Baby-Friendly Hospital/BFH)」という母乳育児を推奨する病院でした。
その時に指導していただいた助産師さんとの面談で、私自身が陥没乳頭であって母乳育児がなかなかうまくいかないということを知りました。
うまくいかない母乳育児の前に出産前の私自身のお話をしたいと思います。
すでにうつ病だった出産当時
私自身、生い立ちから高校生活を経て、大学進学の夢も阻まれうつ病がひどくなっている頃でしたが、生活するためにとアルバイトをしながら、通信制の大学を受講していました。
しかし、なかなかうまくいかないジレンマで自暴自棄になっていた時期で、当時付き合っていた彼氏と成行?で結婚(今の夫ですが(笑))。
妊娠した頃はうつ病もありましたが、妊娠したことで「私はこの世にいてもいいのだ!!」とおかしな自信をつけたのを覚えています。
うつ病・妊娠中毒症など高リスク妊婦
しかし、うつ病であることから対人恐怖症で、母親学級(教室)といった病院で催されるイベントには出席できず、病院側からもおそらく要注意妊婦という意識があったと思います。
もともとすごく太っていたので、妊娠中はかなり厳しく体重について言われましたし、妊娠後期には「妊娠中毒症」(現在では、妊娠高血圧症候群)にかかりました。
臨月に入ると血圧は上が161下が98を記録するようになりました。
陣痛促進剤・吸引分娩でやっと生まれた息子
また息子の頭が大きいこともあり、「下からは産めないかも?!」といわれ、緊急帝王切開に対応できるように絶飲食をしつつ、出産予定日から陣痛促進剤を投与。
なかなか生まれず、朝9時から陣痛促進剤を投与してもダメだということで午後5時まで、絶飲食を耐えました。
翌日も朝9時から陣痛促進剤を投与して14時半過ぎ、やっと吸引分娩と助産師さんが私のおなかを精一杯押して、やっと生まれてきてくれました。
(今はその上から押す=クリステレル胎児圧出法というらしいですが、産婦人科ガイドラインが改定されてあまり行われないみたいです。)
出産時の出血量も1415mlを超えていてかなりの難産でした。
そんなリスクの高い妊婦でしたが、病院側も必死で受け入れてくれて、当時は厳しいなぁと泣いた日もありますが、感謝しかないです。
出産前に直面する陥没乳頭というマイノリティ
そんな難産を乗り越えても、すぐに始まる母乳育児。
しかし、私は妊娠中にしっかりと乳頭ケアをしてこなかったため、陥没乳頭でもしっかりと息子に母乳を飲ませることができませんでした。
助産師さんの診察では、「この陥没乳頭だったら行けそうだね!!」という励ましから、私をどんどん追い詰めていったのです。
最初から、母乳も絞って与えていました。
母乳なら体が元気な子に育つと聞いていたからです。
私は、幼少期から体の弱い子で風邪を引いたりと体調も良くなかったため、陥没乳頭でもなんとかして母乳を与えなければ!という使命感に燃えていました。
卒乳するまで搾乳で母乳育児
第一子ということもあったので、搾乳して母乳を与えることを1歳で卒乳するまでメインで与えていました。
途中、ミルクを1缶だけ使用したこともありますが、そのままずーっと搾乳でした。
手は腱鞘炎になり、肩はガチガチに凝る、、
息子は泣いているけど、搾乳するまで母乳をあげられない、、夫がいるときは夫があやしていたためか夫に懐くようになった息子を見て、絶望というか、なんとも言えない無力さを感じました。
十何年も母親をやっていた私だったら、そんな母乳育児はとっととやめてしまって、息子を抱っこしたらいいよってアドバイスを与えられるのに、あの当時は本当に母乳を与えることだけが母親の役目だと思い込んでいたんです。。
母乳育児への不安があり二人目も遅くなる
本当は、それだけではないですが母乳育児への不安があって、二人目を出産するのも遅くなります。
まぁそれはまた別のお話ということで、違う機会にお話していきたいと思いますね。